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浦和地方裁判所 昭和57年(ワ)1198号 判決

原告 港興業株式会社

被告 国

代理人 河村吉晃 伊東敬一 萩原武 川副康孝 代島友一郎 ほか一名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金三五〇〇万七九二〇円及びこれに対する昭和五七年一〇月二三日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告の公権力の行使にあたる公務員である横浜地方法務局川和出張所の登記官矢田章は、昭和五二年一〇月二七日、別紙一目録記載の土地(以下「本件土地」という。)について、渡庄助(以下特に必要のある場合を除いて便宜上「」は「邉」と表示する。)から原告に対しての同日付売買を原因とする所有権移転登記手続の申請を受けてこれを受理し、その旨の登記(以下「本件登記」という。)をした。

2  本件登記手続申請は、高橋武司らが右渡邉の印鑑登録証明書(以下単に「印鑑証明書」という。)、登記済権利証及び委任状を偽造した上、これを添付してなしたものであるところ、右印鑑証明書の発行日付として表示してある昭和五二年九月一八日は日曜日であり、また、右印鑑証明書の形式・内容も正規のそれと異なつていたし、更に、登記済権利証は右登記官が所属する横浜地方法務局川和出張所名の偽造印が押捺されたもので、その偽造印顆はバルサ材を用いて造つた稚拙なものであつたばかりか、本件登記簿上の所有者の表示が「渡辺」であるのに、本件登記申請書類上の表示は「渡」であつて各表示間の同一性を欠いていた。

3  したがつて、本件印鑑証明書及び登記済権利証が偽造されたものであることは容易に看破することができたのであるから、右登記官は、本件申請の際の右添付書類の成立の真否に関し、印鑑証明書の作成交付の日が日曜日であつて交付されうべき日ではないか否か、印鑑証明書の形式・内容が正規のものと同一であるか否か、更に、登記済権利証の公印の真否、所有者の氏名についての登記簿と申請書類の各表示の同一性について確認し、それらが偽造であることを発見すべき職務上の注意義務があるのにこれを怠り、漫然、本件印鑑証明書及び登記済権利証並びに委任状がいずれも真正に作成されたものであると軽信して、本件申請を受理し、本件登記手続をした。

4  原告が本件土地に関つた経過は次のとおりである。

(一) 本件土地の買受け及びこれに至る経緯

(1) 原告代表者代表取締役菱沼昭典(以下単に「原告代表者」という。)は、昭和五二年一〇月中旬ころ、かねて知り合いの坪田松男から、横浜市あざみ野にいい土地がある、その土地は地目が山林だが、土地区画整理も終了し、すぐにでも名義変更をすることができるものであるから買つてくれないかと本件土地の買受け方申入れを受けた。原告代表者は、横浜周辺については地理にもうとく、自ら住むつもりもないし、不動産売買を業としているわけでもないので、右の申入れを断つたが、三日ほど後、再び原告方事務所を訪れた坪田から、是非とも右土地を買つてもらいたい旨強く勧誘されたので、知り合いの不動産業者であるヤナセ不動産こと柳瀬甲子男に相談してみたところ、同月二〇日ころ、右柳瀬から買つても損のない土地である旨の回答を受けた。そこで、原告代表者は、これを購入してもよいと判断し、購入資金の借入れを滝野川信用金庫戸田支店に申し入れ、同支店長代理とともに現地に赴いて次のような調査をした。すなわち、登記簿謄本によつて権利者を、固定資産税等評価証明によつて価額を、土地区画整理事務所において土地区画整理事業が終了していることをそれぞれ確認し、更に、公図によつて現地の境界を確認したのである。

こうして、購入資金の融資も受けられることになつたので、原告代表者は前記坪田に本件土地を買い取る旨連絡し、同月二六日、所有者渡邉庄助の代理人であると称する右坪田との間で、代金額を金二二〇〇万円とし、これを本件土地の原告に対する移転登記の申請手続が司法書士に依頼されるのと引換えに支払う旨の約定のもとに、本件土地の売買契約を締結した。

右契約後、原告代表者は、右坪田から、今日中に二〇〇万円を支払つてほしいと強く要請されたので、同人に対し、手付金として原告振出の額面金二〇〇万円の小切手を交付した。その際、原告代表者は、右坪田に対し、翌日右登記申請手続依頼完了と同時に残金を支払うので、所有者渡邉庄助を同行してもらいたい旨申し入れたが、右坪田が「地主は病院に入院していて歩行困難であるため、私が登記委任状を持参する。」というので、これを信用した。

(2) 翌二七日、横浜市緑区川和町六六四番地高田吉郎司法書士事務所において、右坪田が同司法書士に対し、渡邉庄助名義の委任状と登記済権利証及び印鑑証明書等登記申請手続に必要な一切の書類を提出し、登記申請手続の依頼が済んだので、原告代表者は、右坪田に対し、右残代金として現金四〇〇万円及び原告振出の額面合計金一六〇〇万円の小切手二通を交付した。その後、原告は、昭和五二年一二月一七日、本件土地を五筆に分筆し、本件土地の地番は、三一番七、同番一六ないし一九となつた(以下、これらを総称して「分筆後の本件各土地」といい、そのうち一筆を示すのには地番をもつて表示する。)。

(二) 分筆後の本件各土地の転売及び所有者による追奪

(1) 原告は、昭和五二年一一月一〇日、柳瀬甲子男の仲介で、分筆後の本件各土地のうち七番、一七番及び一九番の各土地をテイーケーハウジング株式会社(以下単に「テイーケーハウジング」という。)に対し、代金五三八六万一七〇〇円で売却し、同年一二月二〇日までに右代金の完済を受け、同月二一日、同社に対する右売買を原因とする所有権移転登記手続を経由した。

(2) テイーケーハウジングは、一七番及び一九番の各土地を末岡勉に、七番の土地を別の者にそれぞれ転売し、末岡勉は、テイーケーハウジングから買い受けた右各土地上に建物の建築を始めた。

(3) しかるに、その後、真の所有者である渡庄助は、原告及びテイーケーハウジングらに対し、所有権移転登記抹消登記手続請求訴訟(東京地方裁判所昭和五三年(ワ)第五九〇八号事件)を提起した。昭和五五年一月二八日、右訴訟について、渡庄助から原告に対する所有権移転登記は偽造申請書類による無効のものであるとして、右渡の請求を認容する判決が言渡され、同判決確定後、原告からテイーケーハウジングに対する所有権移転登記の抹消登記手続がなされた。

(4) そこで、テイーケーハウジングは、原告に対し、転売先に支払つた金額及び得べかりし利益を損害とする損害賠償を請求したが、昭和五五年一一月二八日、浦和地方裁判所同年(モ)第二四八号事件の手続において、原告と和解し、同日、原告は、テイーケーハウジングに対し、和解金一五〇〇万円を支払つた。

(5) 一方、末岡勉は、渡庄助から訴を提起され、既に建築を始めていた建物を収去して一七番、及び一九番の各土地を明け渡さざるをえなくなつた。このため、末岡勉から原告らに対し、損害賠償請求訴訟(東京地方裁判所昭和五五年(ワ)第九六二九号事件)が提起されたが、結局当事者間において和解が成立し、原告は、末岡勉に対し、和解金一二五〇万円を昭和五六年八月末日限り支払うことを約した。しかし、原告は、本件詐欺事件によつて多額の出捐を余儀なくされ、資金計画もままならず、そのため、右約定の金員を期限までに支払うことができず、右末岡から、居宅についての強制執行の申立てをされ、同年一〇月七日強制競売開始決定を受けるに至つた。原告には直ちに資金の用意ができなかつたため、右末岡に分割払の申入れをし、その結果、原告と右末岡との間で総額金一五五〇万円を支払う旨の和解をし、原告は右末岡に対し、昭和五七年九月一四日、現金五〇〇万円、小切手二五〇万円を支払い、その残額について同年一一月から昭和五八年六月まで毎月末各金一〇〇万円を支払つた。

5  原告が本件において被告に対し請求する金額の内訳は、次のとおりであり、これと登記官の過失とは相当因果関係がある。

(一) テイーケーハウジング及び末岡勉に対して支払つた和解金

右4(二)のとおり、原告は、テイーケーハウジングに対し、金一五〇〇万円、末岡勉に対し金一五五〇万円を、それぞれ原告が負担すべき損害賠償債務の履行として支払つたところ、右債務の発生原因事実は、右両名に対する原告と被告の共同不法行為というべきであるから、原告は、被告に対し、これを求償するものである。

(二) 柳瀬甲子男に対して支払つた仲介手数料

原告は、ヤナセ不動産こと柳瀬甲子男に対し、昭和五二年一二月二〇日、原告の本件土地の購入に関する協力及び転売のための仲介に対する手数料として、金一六〇万円を支払つた。

(三) 不動産取得税

原告は、本件土地を買い受けたことにより不動産取得税として金八二万円を支払つた。

(四) 登記登録手数料

(1) 渡庄助から原告に対する所有権移転登記の登録免許税金七一万四〇〇〇円

(2) 本件土地購入資金の融資先滝野川信用金庫に対する抵当権設定登記の登録免許税 金一〇万円

(3) (1)、(2)についての登記簿謄本交付手数料 金六〇〇円

(4) (1)、(2)についての司法書士手数料 金二万三三二〇円

以上合計金八三万七九二〇円

(五) 弁護士費用

原告は他から民事裁判を提起されたために、弁護士費用として金一二五万円の支払を余儀なくされた。

6  よつて、原告は、被告に対し、共同不法行為者に対する求償及び国家賠償法一条に基づく損害賠償として合計金三五〇〇万七九二〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五七年一〇月二三日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2のうち、原告主張の偽造印顆がバルサ材を用いて造つた稚拙なものであつたことは争い、その余の事実を認める。

3  請求原因3の事実及び主張は争う。登記官の行為に過失はない。即ち、本件においては、登記申請書添付書類は極めて精巧に偽造されており、外形上ことさら疑問を抱かせるような点がなかつた。権利に関する登記については、登記官は当事者から提出された申請書類の形式的適法性のみを審査するいわゆる形式的審査主義が採られており、本件のように申請書類の形式的真正の審査が問題とされる場合にあつては、登記官として通常の注意をもつてすれば偽造であることが容易にわかるものを看過しないだけの注意を要するが、要求されるのはそこまでであつて、真正であることの積極的心証を得るまでの必要はない。本件については、通常の注意をもつてしては容易に偽造であることがわからなかつたのであるから、登記官の行為に過失はない。

なお、「辺」と「」の字体の差異があつた点については、「」は「辺」の誤字又は俗字として同一性が認められるから、登記官矢田章において、登記事務の一般的解釈、運用に従つて表示としての同一性を認め、この点に特段の疑問を抱かなかつたことは当然である。

4(一)  請求原因4(一)の事実中、(1)のうち原告代表者が昭和五二年一〇月ころ知り合いの坪田松男から本件土地の購入をもちかけられ、同月二六日、本件土地の所有者である渡庄助に売却意思の確認をすることなく、これを代金二二〇〇万円で買い受けることとし、同日中に坪田松男に対し、手付金として原告振出の額面金二〇〇万円の小切手を交付したことは認めるが、その余は争い、(2)の事実はすべて認める。

(二)  請求原因4(二)の事実中、(1)のうち原告からテイーケーハウジングへ七番、一七番及び一九番の各土地が譲渡され、昭和五二年一二月二一日、原告からテイーケーハウジングへの同月二〇日付売買を原因とする所有権移転登記手続が経由されたことは認めるが、その余は不知、(2)のうちテイーケーハウジングから末岡勉に一七番及び一九番の土地が譲渡されたことは認めるが、その余は不知、(3)の事実は認め、(4)の事実は不知、(5)のうち原告が末岡勉に対して訴訟上の和解において金一二五〇万円の支払を約したことは認め、その余は不知。

5  請求原因5の事実及び主張は争う。

(一) テイーケーハウジング及び末岡勉に対して支払われた和解金について

テイーケーハウジング及び末岡勉からの損害賠償請求に対して原告が支払つた和解金については、それが正当な権利行使に対するやむをえざる合理的金額として支払われたことが明らかにされなければ、原告が被告に対し、共同不法行為者間の求償権に基づきこれを請求することはできないものというべきところ、本件においては、この点につき何ら具体的主張、立証がない。

(二) 柳瀬甲子男に対して支払われた仲介手数料について

柳瀬甲子男が本件土地を購入するについて協力したことに対する対価相当分は登記官による行為とは何ら因果関係がない。同人が本件土地の転売のための仲介をしたことに対する手数料相当分についても、原告は、本件登記申請の前から、買い入れるべき本件土地を転売することに自己の見込みで決め、その一連の仲介を柳瀬甲子男に依頼したのであつて、登記官の行為の結果によつてそのような仲介の依頼をしたわけではないから、右相当分は登記官の行為と相当因果関係のある損害とはいえない。本件の場合、相当登記官が偽造に気付いて本件登記申請を却下すれば、原告もこれを更に転売することができなかつたかも知れず、その意味では条件関係はあるとしても、登記官に高度の注意義務が課せられているのは、物権変動の公示による取引の安全保護を目的とする登記制度の趣旨に基づくものであつて、虚偽の取引の発見は単なる付随的結果にすぎない。したがつて、このような転売のための手数料は登記の過誤によつて通常生ずべき損害とはいえない。

(三) 不動産取得税について

原告は不動産取得税を納付したのであれば、還付を受ければ足りることであつて、これを損害ということはできない。

(四) 登記登録手数料について

本件土地の購入資金借入れのための抵当権設定登記は原告がこれを担保として利用したことに基づくものであるから、その登録免許税は本件と相当因果関係のある損害とはいえず、これについての登記簿謄本交付手数料についても同様である。司法書士手数料に関しては、前記抵当権設定登記申請についての手数料相当分が含まれるべきでないことは右同様であり、更に、いずれにせよ本件登記申請が却下されても右手数料支払義務は免れないのであるから、登記官の行為とは関係がない。

(五) 弁護士費用について

原告の主張からは、いかなる事件について(一件なのか複数なのか)どれ程の費用を要したというのか不特定であり、その支払についての証拠もない。仮に転売後に訴を提起されてその応訴に要した費用だというのであれば、前記(二)と同じ理由で相当因果関係を欠く。

三  被告の主張

1  登記官の行為の実質的違法性の欠如

国家賠償法一条に規定する違法性とは、国又は公共団体に損害賠償義務を負担せしめるのが相当と考えられる程度の実質的な理由のある法違背をいい、そこにおける違法性の判断は、当該被害が法的保護に値するものであるか否かという観点から被害者との関係において相対的に判断されるべきものである。この見地からみると、本件においては、次の理由により登記官の行為には違法性がない。

(一) 不動産登記の制度趣旨から、登記官の前記審査権限は、当事者による共同申請主義の原則のもとに、できる限り不実の登記を排除して不動産公示の正確性を担保して第三者の取引の安全を図るための方策の一環として付与された権限であつて、国が当該登記申請者に対してその登記申請によつて生じうべき危険につき保障を与えるために付与されたものではないというべきである。したがつて、登記官の審査を経てなされた登記に対する第三者の信頼の問題はともかく、申請当事者の一方が、登記官の前記審査を経て登記が受理されたことによつて、共同申請にかかる他方申請当事者の申請が真正なものであると信頼することは法的保護を享受しうべきものではなく、単なる反射的利益を受けるにすぎない。してみれば、本件において仮に登記官に過失があるとしても、原告自身との関係では登記官の行為は違法とはいえない。

(二) 本件における原被告双方の事情を考量すると、登記官に仮に過失が認められるとしても、その程度は甚だ軽徴なものであるのに対して、原告には、本件土地の買主としての基本的、初歩的注意を怠つた重大な過失がある。すなわち、(1)本件土地購入の話を持つてきた坪田松男は、倒産の際のいわゆる整理屋、手形金融ブローカー、不動産ブローカーといつた仕事をしていて必ずしも信頼できる人物ではなく、しかも、原告は、本件に先立ち、坪田松男から購入した建売り住宅を同人を介して転売したところその代金が回収できないというトラブルが未だ解決していないにもかかわらず、安易に同人の言を信用したこと、(2)本件土地は、坪田松男の申出により金二二〇〇万円で売買されたが、約二か月後には金五三八六万余円と倍額以上で転売されていることからすると、坪田の申出価額は通常取引価額より著しく低額であつたと考えられるし、更に、坪田は早急に内金二〇〇万円を支払つてくれるよう求めるなど売り急ぎ、その取引態度に不審な点をみせていたこと、(3)それにもかかわらず、原告は、所有者たる渡と面会したことも、直接その意思を確認したこともないことなどの点からみて、原告は、土地の買主として社会通念上要請される最も基本的かつ初歩的注意を怠つたものというべきであり、この点が本件の最大かつ根本の原因であることは明白である。このように、被害者の側において社会通念上当然に期待される行動をとつていたならば被害の発生を容易に回避することができた場合において、加害者とされる者を非難することが実質的に相当でない場合には、右加害者とされる者の行為にはもはや違法性がないものと解すべきである。

2  損害の填補

原告は、青木節哉から金二五〇万円、栗原義雄から金一五〇万円、坪田松男から少なくとも金二六〇万円、以上少なくとも合計金六六〇万円の賠償金の支払を受けた。

3  過失相殺

原告代表者は、不動産業を営む者であり、白紙委任状を妄信することが危険であることや所有者本人に意思確認をすることが売買契約締結の際の初歩的要求であることを知悉していたはずであり、被告の主張1(二)記載の事情があつたのにもかかわらず、本件土地の真実の所有者である渡庄助に何らの確認もしなかつた。原告の過失割合は九割を下回らない。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1のうち、原告が渡庄助に直接確認しなかつたことは認め、その余の事実は否認し、主張は争う。

2  被告の主張2の事実のうち、原告が青木節哉から金二五〇万円、坪田松男から金五〇万円の各賠償金の支払を受けたことは認めるが、その余は否認する。右賠償金は坪田らに詐取された金員に対する賠償として支払われたものであるから、本件請求額から差し引かれるべきものではない。

3  被告の主張3のうち、原告が渡庄助に直接確認しなかつたことは認め、その余の事実は否認し、主張は争う。

第三証拠 <略>

理由

一  偽造の添付書類による本件登記申請の受理

横浜地方法務局川和出張所の登記官矢田章が、昭和五二年一〇月二七日、本件土地について、渡庄助から原告に対しての同日付売買を原因とする所有権移転登記手続の申請を受けてこれを受理し、その旨の登記(本件登記)をしたが、右申請は、高橋武司らが右渡の印鑑証明書、登記済権利証及び委任状を偽造した上、これを添付してなしたものであつたことは当事者間に争いがない。

二  登記官の過失の有無

1  登記官は、登記申請がなされた場合、その申請書及び添付書類につき、各書面の形式的真否を審査し、その申請人が適法な登記権利者及び義務者であるかを審査すべき義務があるものというべきであるが、その審査にあたつては、その職務上の知識、経験に基づき添付書類、登記簿、印影などの相互対照などによつて添付書類の真否を形式的に判定すれば足りるものであつて、登記官において右方法によりいわば書面審理を尽した場合、添付書類が偽造にかかることを容易に発見できるときには当該登記申請を却下すべき注意義務があり、右義務を怠つたときには登記官の当該登記申請受理には過失があるといわなければならないが、右方法をもつてしては添付書類の偽造を発見することが容易でないときには、その申請受理に過失があるとすることはできない。

2  そこで、本件についてこの点を審究するに、<証拠略>によれば、登記官矢田章は、本件登記申請を受理するに際しての審査において特に概念を抱かなかつたことが認められるところ、以下詳述するとおり、登記官矢田章において本件登記申請を受理したことについて過失があつたことは、本件全証拠によつてもこれを認めるに足りないものと解される。

(一)  高橋武司が渡邊庄助名義で偽造した委任状であることに争いのない乙第二号証の二、高橋武司が世田谷区長名義で偽造した印鑑登録証明書であることに争いのない同号証の三(なお、同第三号証は、右印鑑登録証明書の写真であり、この点も争いがない。)をそれぞれ平面照合し、弁論の全趣旨を総合すれば、本件登記申請の際の申請書添付書類である本件印鑑証明書の「印影」欄の印影と本件委任状の渡庄助名下の印影とは同一の印顆によつて顕出されたものであることが認められる。

(二)  本件印鑑証明書について

(1) <証拠略>によれば、本件印鑑証明書は、東京都世田谷区長大場啓二作成名義のものであつて、その様式は同区長作成にかかる真正な印鑑証明書(<証拠略>)とその方式及び趣旨の主要部分において同一であり、その他の市区町村長作成の印鑑証明書とも概ね同じ様式をとつていること、これに押捺されている世田谷区長名義の印影(「玉第四出張所東京都世田谷区長之印専用」と刻されており、これは世田谷区玉川第四出張所で使用されている同区長の公印であることを示す。)は、極めて精巧なもので、印影それ自体を仔細に検分しても、そこには偽造にかかることを疑わせる瑕疵は何ら見出しえないこと、更に、本件印鑑証明書に交付年月日として表示してある昭和五二年九月一八日当時、世田谷区役所玉川第四出張所において用いられていた真正な世田谷区長の公印による印影(<証拠略>に添付のもの)それ自体と対照してみても、文字の配列は同一で、書体及び文字の形態も酷似しており、たとい両者を平面照合したとしても、いずれが偽造印であるかは判別しがたく、本件印鑑証明書に押捺されている世田谷区長名義の印影が偽造のものであるとの認識を前提とした上で双方の差異を検討してはじめて、これが真正な世田谷区長の公印と異なる印顆によつて顕出されたことを疑いうるにすぎないことが認められる。

(2) 本件印鑑証明書の様式、記載文字を個別的に検討しても、これが偽造にかかることは、容易に判定しうるものではない。

ア <証拠略>によれば、本件印鑑証明書は、一般のそれと同じく横書きで、最上段に「印鑑登録証明書」と印刷記載され、その下に長方形をした太い実線の外枠があり、その枠内の左側に更に枠でかこんだ「印影」欄があり、右側に上から「氏名」欄、「生年月日」欄、「住所」欄があるところ、この外枠の線の太さが不整で、その左上方部分が二重の線になつていることが認められる。しかし、真正な世田谷区長作成の印鑑証明書にも、同様に外枠の線の太さが不整で、その線が一部二重になつているものがあることは<証拠略>によつて明らかであり、本件印鑑証明書の枠内の形式(印刷文字の形態・配列、枠と各欄を区切る直線の長さ・相互の幅等)が真正なそれと殆んど同一であることは、<証拠略>を対照すれば明らかである。

イ <証拠略>によれば、前記枠の下方に、「この写しは、登録された印影と相違ないことを証明します。」と一行に印刷され、その下段に「昭和」「年」「月」「日」の各文字がそれぞれ年月日の数字を記入すべき空欄を空けて一行に印刷され、最下段に「東京都世田谷区長大場啓二」と一行に印刷してあつて、これらの文字の配列、文字間の間隔、活字の大きさ・書体は本件印鑑証明書と真正なそれとの間で同一であることが認められる。

ウ もつとも、<証拠略>によれば、本件印鑑証明書の発行番号は、その位置は前記区長名の上段左方で真正なそれと同一であるが、「玉4戸証第  号」というように空欄のある表示になつており、真正なそれが「世玉4出証第  号」と表示されるのと異なり、なお、世田谷区役所の各出張所で交付される印鑑証明書の発行番号の冒頭の表示は「世1出」ないし「世13出」、「世玉1出」ないし「世玉6出」及び「世砧1出」ないし「世砧5出」の二四通りであつて、本件印鑑証明書のように「玉4戸」と表示されることはないこと、本件印鑑証明書の「第」と「号」の文字は、真正なそれに比し、活字が小さく、また、真正な印鑑証明書の場合は「世玉4出」等の文字に印刷ないし印字むらがないのに対して、本件印鑑証明書の「玉4戸証」の印字には多少のむらがあり、なお、「玉」「戸」「証」の三文字は同一規格の活字によるものとみられるが、「4」の活字はこれらより上下の長さがやや長く規格が異なるものと見受けられること、発行番号として打たれている番号が本件印鑑証明書の場合は四桁の数字のうち「27」と「37」の間に若干の上下の段差があるけれども、真正なそれ(<証拠略>)の場合には目にとまるほどの上下のずれはなく、使用されている活字も両者で異なること、更に、本件印鑑証明書の発行年月日の段に印字された「52」「9」「18」の数字は、それぞれの間に若干の段差ないしわずかな右方への傾きがあり、印字むらがあることがそれぞれ認められる。

右に指摘した各点について考えるに、「玉4戸証」という表示が用いられていることは、仮に本件印鑑証明書を世田谷区役所玉川第四出張所発行の真正な印鑑証明書と対照したとすれば、不審を抱くべき点であつたといえるものの、登記官の職務上の知識及び経験として右表示が真正なものにおいては用いられないことを知つているべきであつたとすることができないことは明らかであり、また、登記官において、他に添付書類の真否につき疑いをもつべき特段の事情の認められる場合はともかく、そうでない限り、一般に登記官において各市区町村長の発行する印鑑証明書すべての謄本なり、発行番号等の特徴を記した一覧表なりを常に手元においてこれを提出書類と必ず照合すべきであるともいえないから、右特段の事情を認めるに足りない本件においては、右の点は問題とするに足りない。

「第」と「号」の活字が小さいことについては、真正な印鑑証明書においても使用活字の大きさは大小様々であることが<証拠略>を比照すれば明白であり、印字むらがあることも、それが機械的大量印刷によるものでなく、活字印を押捺する形式のものである場合には何ら異とするに足りないし、数字印字に若干の上下のずれ、段差のあることも<証拠略>によつて明らかなごとく、ありうべきことにすぎず、また、本件印鑑証明書の発行番号の数字活字と同種の活字が番号欄に用いられることもあることは<証拠略>により明らかであつて、なお、年月日の数字活字をも含めると<証拠略>もこれと同種の形の活字を用いていることが認められるのであつて、以上の点はいずれもそれのみで本件印鑑証明書の偽造を疑わせるものとはいえない。

本件印鑑証明書が偽造のものであることを知つてこれを仔細に検討すれば、右に指摘した年月日欄の数字印字の若干の段差ないしわずかな傾き及び印字むら並びに発行番号の冒頭の文字の印字むら及び活字の規格不統一は、確かに真正なものと対比すると不自然な点として浮び上がつてはくるものの、前示のような本件印鑑証明書における区長印の精巧さ、本件印鑑証明書と真正なそれとが様式自体としては基本的に一致していることなどの諸点に鑑みると、本件印鑑証明書の記載それ自体からその作成の真否につき概念を抱くべきであつたということはできない。

エ 本件印鑑証明書の発行日付である昭和五二年九月一八日が日曜日であることは当事者間に争いがない。しかし、一般に、官公署の休日のうち国民の祝日についてはその月日が決まつているが、日曜日についてはそのようなことはなく、したがつて、本件印鑑証明書の発行日付のように本件登記申請の日から四〇日前の日が日曜日であつたかどうかを記憶しておくよう要求することは無理である。そして、登記官において、登記申請受理審査に際し、他に何らかの疑念を差し挾むべき点がある場合は格別、一般に印鑑証明書の発行日付が日曜日でないかどうか曜日表を参照するなどして確認すべき注意義務を負うとは解することができない。本件印鑑証明書がその記載自体として作成の真否につき何らかの疑念を差し挾むべき点があつたということができないことは前示のとおりであり、更に、後記のとおり、その他の添付書類についても不審な箇所があつたと認めるに足りる証拠はないから、結局、本件印鑑証明書の発行日付が日曜日であることも、登記官の審査に過失があつたとする根拠とはならないものというべきである。

(三)  本件登記簿上の所有者氏名と本件登記申請書及び添付書類上の氏名の各表示に用いられた字体に差異があつた点について

本件土地の所有者であつた渡庄助の「」の戸籍上の表示は、成立に争いのない乙第一〇、一一号証(戸籍謄本及び住民票)によると「」であることが認められるところ、成立に争いのない甲第三三号証(本件土地の登記簿)によると、本件登記簿上の所有者の氏名は「渡辺庄助」と表示されていたことが認められ、他方、成立に争いのない乙第二号証の一(本件登記申請書)によると、本件登記申請書上の登記義務者の氏名は手書きによつて「渡庄助」と表示されていたこと、前掲乙第二号証の二、三の各存在によると、本件委任状及び本件印鑑証明書上の各表示はいずれも手書きによつて「渡庄助」となつていたことがそれぞれ認められる。

ところで、<証拠略>を総合すると、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

すなわち、氏名に用いられる漢字の正字と誤字及び俗字の関係に関し、戸籍及び登記実務上以下のような取扱いがなされている。まず、戸籍についてみると、戸籍上明白な記載の誤りは、一定の場合、監督法務局の長の許可を得て市町村長が職権で訂正することができるものとされている(戸籍法二四条二項)が、氏・名が誤字又は俗字で記載されている場合についてはこの許可を要せず、申出に基づいて市町村長限りの職権で訂正する便宜的な取扱いが従前から認められていた(昭和二五年一二月一五日民事甲第三二〇五号各法務局長、地方法務局長あて民事局長通達、昭和二六年四月二一日附民事甲第八四〇号民事局長回答)。ただし、この取扱いは、文字(字体)の同一性の認定の困難さにかんがみ、既に先例によつて訂正が認められた場合を除いて、申出のある都度、監督局の長に申出の受否について指示を求めることとされている。そして、それまで民事局長及び各法務局長、地方法務局長の回答等によつて訂正が認容された事例に基づき、昭和四二年一〇月二〇日付民事甲第二四〇〇号民事局長通達「戸籍の氏名欄の更正に関する誤字・俗字一覧表について」によつて、戸籍の氏名欄の記載が誤字又は俗字でなされている場合、申出により市町村長が職権で訂正してさしつかえない文字(字体)が一覧表として示された(以下これを「旧一覧表」ということがある。旧一覧表における「辺」又は「邊」の誤字又は俗字は別紙二のとおりである。)。これによれば、別紙二記載の「」などの字体で氏名が戸籍に記載されている場合、当時の当用漢字である「辺」(原字は「邊」)の誤字又は俗字であるから、本人又は申出人が前者から後者に改めるよう申し出たときは、市町村長は監督法務局の長の指示を受けるまでもなく、職権で訂正して差し支えないとされ、そのように運用されてきた。一方、登記申請受理手続の関係では、登記申請書に掲げられた登記義務者の表示が登記簿と符合しないときは、その申請は却下されることになつている(不動産登記法四九条六号)が、登記簿と申請書類との間で、一方には正字、他方には誤字又は俗字が用いられて、氏名の字体に齟齬があることもままみられるところ、もともと、「辺」と「邊」のように旧当用漢字と原字という関係にあるものについては、相互に同一性が認められており、それに加えて、戸籍に関する前記のような簡易な訂正手続を勘案し、前記通達の一覧表の誤字又は俗字で記載されているものについて、所有権移転登記等の申請があつた場合、その原因証書や印鑑証明書等の添付書類の氏名に正字が使用されているときは、その申請の前提として、登記名義人の表示更正登記申請を要せず、かつその者が同一人であることを証する書面を添付することなく、直ちに当該登記を受理して差し支えないとの取扱いが採用され(昭和四三年七月二日付民事甲第二三〇二号民事局長回答)、実務上定着するに至つている。そして、右の逆の場合、すなわち、登記簿上の登記名義人の氏名が正字で記載されているものについて、登記申請書添付書類上の氏名の表示に前記一覧表中の誤字又は俗字が使用されている場合も、同様に同一性を認めて差し支えないとの取扱いで運用されてきた。そして、戸籍に関する前記通達後、各法務局又は地方法務局の長が誤字又は俗字として訂正を許容した文字が相当数あつたことなどから、昭和五八年三月二二日付け法務省民二第一五〇一号法務局長、地方法務局長あて民事局長通達(以下「新通達」という。)によつて、前記昭和四二年一〇月二〇日付民事甲第二四〇〇号通達が廃止され、新たに「誤字・俗字一覧表」が作成された(以下これを「新一覧表」という。新一覧表における「邊」の誤字・俗字は別紙三のとおりである。)。そして、戸籍に関して新通達が発せられたのに伴い、同日付で法務省民三第二二八七号各法務局民事行政部長、地方法務局長あて民事局第三課長依命通知により、登記名義人の氏名が新一覧表中の誤字又は俗字で記載されている場合には、登記名義人の表示を正字に更正する等の必要はないこととされ、各登記官への周知が図られた。新通達には、念のため、「シンニヨウ」につき、正字の通用字体に用いられる「」と「」、「」、「」、「」、「」との間の同一性を確認する趣旨の注記がある。

右認定の事実に基づいて考えるに、まず、戸籍に関し、いわゆる誤字又は俗字を正字に訂正するに際し、前記のような便宜な取扱いが認められていることは、戸籍制度の趣旨からこれを肯認することができる。ところで、戸籍上の表示が原字である「邊」であつたり、その誤字又は俗字であつた場合でも、自己の署名に際し、「辺」と表記する者が少なくないことは公知の事実であるところ、逆に、戸籍上(訂正されて)「辺」と表示されている場合でも、訂正前のその原字である「邊」や「」や「邉」などの誤字又は俗字で表示する習慣を続ける者があることも十分考えられ、戸籍事務上の取扱いが前記のとおり便宜な手続で行われていることからみて、登記手続上の登記申請者の氏名の表示に関して、字体についての厳格な審査を要求することは、申請者の同一性を確認する手段として、さほど意味のあることとは考えられず、他方、これを厳格に取り扱うことによつて生じうべき事務の停滞も無視することができないから、登記簿上の氏名の表示に用いられている字体と登記申請書類上で用いられている字体とが、一方が他方のいわゆる誤字又は俗字として一般に慣用されていると認められる限り、他に登記申請者の同一性に疑念を生じうべき特段の事情のない限り、不動産登記法四九条六号に該当せず、両者の間に同一性が認められるとして、当該申請を受理して登記する実務上の取扱いは違法とまではいえないものと解される。これを本件についてみるに、本件登記申請書上の登記義務者の氏名の表示に用いられた「」は、別紙二の一〇番目、別紙三の二四番目の字体にあたり、他方、本件委任状及び本件印鑑証明書上の表示に用いられた「」は、別紙二にはなく、別紙三の二五番目の字体にそれぞれ該当することが認められる。このような旧一覧表に登載されていない字体については、前記通達の字義からすると、監督局の長への照合等をまたずして表示としての同一性を肯認することは許されないことになろうが、そもそも、登記実務上(行政機関内部の命令又は示達という意味での)通達に準拠した取扱いがなされるのは、登記官の主観を排し、取扱いの画一化を図つて公平を保つとともに、登記申請受理審査手続の能率化を図つて、可及的に正確な公示を実現しつつ、右公示実現の円滑、迅速に資するためであつて、右通達の字義に従わなければ当該審査が国家賠償法上違法であると即断することは相当でない。新一覧表には登載されているが、旧一覧表には登載されていない字体の中には、その字体の異同が一見して明瞭なものと、よほど注意深く観察しない限り、その差異を判別しにくいものがあり、ことに、それが手書きで表示された場合、判別がかなり困難なものも少なくない。たとえば、新一覧表(別紙三)上の字体をみても、「」、「」などが「邊」と異なる字体であることは通常容易に判別しうるものの、「」と「邉」、あるいは「」と「邉」のごときは判別は容易ではない。したがつて、本件委任状及び本件印鑑証明書上の表示に用いられた「」という字体は、新一覧表には登載されているし、本件登記申請受理審査手続当時においても、表示としての同一性を認められていた字体として、「」、「邉」及び「」があつたことからすれば、「」の字体をこれらと表示としての同一性があるものと解することは無理からぬところであつて、これを厳格に審査して同一性を否定すべきであつたと解するのは相当でない。したがつて、本件登記簿上の所有者の氏名と本件登記申請書及び添付書類上の氏名の各表示字体に差異があつたことによつて、本件登記申請を受理したことが違法であるとすることはできない。

(四)  本件登記済権利証について

本件登記済権利証は、その具体的形態について直接これを知りうる証拠がない。

原告は、本件登記済権利証は本件申請を受理した登記官自身が所属する横浜地方法務局川和出張所名の偽造印が押捺されたもので、その偽造印顆はバルサ材を用いて造つた稚拙なものであつたから、本件登記済権利証が偽造されたものであることは容易に看破することができた旨主張するが、まず、右印顆がバルサ材を用いて造られたものであるとの前提自体にわかに採用しがたい。

すなわち、本件登記済権利証がバルサ材を用いて造られたものであるとの原告の主張に沿う証拠は、高橋武司の検察官に対する供述調書である<証拠略>のみであるところ、右供述調書におけるこの点の供述の要旨は、前記印鑑証明書及び本件登記済権利証の公印部分は、模型店で購入したバルサ材を用いてほぼ同様の方法で造つた印顆を押捺して作成した、本件登記済権利証に押捺した公印印顆は、「横浜地方法務局川和出張所」という公印と「横浜地方法務局受付昭和  年 月 日第  号登記済」というように空欄に年月日等を記入するようにした公印であつて、これらは、不要となつた同人名義の建物の権利証(以下単に「使用済権利証」という。)に押捺してある横浜地方法務局溝口出張所の各公印を利用することとし、いずれも使用済権利証に押捺してあつた同様の公印の文字の上から力を入れて鉛筆でなぞり(但し、「溝口」の部分を「川和」として)、反対文字となつて浮き上がつたその裏側部分に鉛筆の粉を振りかけてこすり、当該部分を切り取つてバルサ材を反対文字の浮き上がつている裏側を上にして貼りつけ、文字の部分が残るようにそれ以外の部分を彫刻刀やカツターナイフで彫つて作成した、前者を造るのに要したのは約二時間、後者を造るのに要したのは約三日間であつた(なお、本件印鑑証明書の公印印顆については、拾つた世田谷区長名義の印鑑証明書の下に薄い白紙を敷き、この印鑑証明書に押捺してあつた世田谷区長の公印の文字部分をなぞつて、下の白紙に現われた文字につき前記権利証の公印の場合と同様の操作をしてこれを作成した)、というのである。

なるほどバルサ材を用いて造つた印顆はさほど精巧なものではありえないのではないかということは、経験則上考えうる立論ではあるが、そうであつてみればなおさら、本件印鑑証明書の公印のように小さな文字の印顆を前示のように精巧に作成するのに用いられたのがバルサ材であつたということはにわかに措信しがたく、また、<証拠略>によれば、高橋武司を被告人とする刑事第一審裁判所に対し、右供述にいうところの使用済権利証が証拠として提出されたが、これには公印部分を切り取つた形跡がまつたく存在しなかつたことが認められ、したがつて、少なくともこの点の高橋武司の供述が虚偽であることの明らかな本件においては、本件登記済権利証の前記二個の公印印顆の作成に用いられたのがバルサ材であつたと断ずることは許されないものというほかはない。

他に本件登記済権利証の偽造方法が稚拙であつたことを窺わせる証拠はなく、本件登記済権利証がその偽造を疑うべき形態のものであつたことを認めるに足りる証拠はない。

三  以上のとおり、本件登記申請の受理に関し、登記官に過失があつたことを認めるに足りないから、その余の事実及び争点につき判断するまでもなく、原告の請求は理由がない。

四  よつて、原告の本訴請求はこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 下村幸雄 河野信夫 松本光一郎)

別紙一ないし三 <略>

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